犯罪率

GOLD をみてて、服役している人に対して「人権などない」という場面があって、まぁそのセリフ自体はどうでもよいのだが、他のセリフの中に以下のような意味合いのものがあった。


犯罪者は育った環境が劣悪だとか、そういうことを言い訳にする。しかし、劣悪な環境で育った人全てが犯罪者になるわけではない。立派にやっている人もいる。
(GOLD #7 よりかなり意訳)
たしかに、犯罪を犯した理由に育った環境などは言い訳にはならない。犯罪は犯罪であるので、きちんと裁かれなければならない。(いや、情状酌量の余地にはなるかもしれないが、それはそれとして)
ただ、何を劣悪な環境とするかは別として、例えばなんらかそういう基準を決めて集めた母体と、そうでない母体とで、犯罪率はどれほど変わるのだろう。そこに相関はどれほどあるのだろう。またはないのだろう。
深く調査するつもりもないが、やはり少し気になる話だ。わかったからといってなんだということではないが。

いずれ死ぬということについて

人間はかなりの確率で「いずれ死ぬ」。

そのことについて、一体どれだけの人が、どれだけの時間を割いて考えているだろうか。多分、漠然とした恐怖や不安を感じていても、真面目に時間を割いて考える人は少ないのではなかろうか。

理由は幾つかある。

まず、「考えても必ず死ぬ」ということ。つまり、プロセスに関わらず結果が同じであるから、プロセスを考慮する時間が無駄だということ。これはきっと大きい。そして、大前提にもなっているだろう。

それから、「他にもっと考えることがある」ということ。つまり、先ほどの大前提が真とするならば、そんなことよりも、雑多な目の前のことや、(仮に生きていれば)将来やりたいこと、目標などについて考えるほうが、有意義だという考えもあるだろう。

それ以外にも、「はなから死について考えない」人もいるだろう。そういう人はきっと「死」が興味の対象にならないようになっているのだろう。

あとは日本には少ないかもしれないが、死後の世界や、最後の審判を信じている人もきっといるのだろう。

他に、どういう救いがあるだろうか。