大海を泳ぐモノ

生きるという事は、大海を泳ぐことに似ている。

目的地は人それぞれであり、泳ぎ方は人それぞれであり、個人で泳ぐのも自由であり、仲間と泳ぐのも自由であり、集団で泳ぐのも自由であり、ただ浮いているのも自由であり、ボートに乗るのも自由であり、岩場で休むのも自由であり、潜水するのも自由であり……
ただ稀に、泳げない人間もいる。
からだがマヒして泳げない人、水が怖い人、大海に一人でいる孤独に負けてしまう人、他人と比べて自分の泳ぎ方にに自信が持てない人、「泳ぎ方」を考えるあまり泳げない人……

勿論、その理由も様々である。

そして、泳ぐ人は泳げない人に言う。

「人はそもそも泳げるようにできている。考えすぎちゃダメだ。自然に泳ぐんだ。」

泳ぐ人は泳げない人を発見できないこともある。「泳げる事が当たり前」なので、振り返って後ろに誰かいるか確認することはナンセンスだからだ。

結局泳げない人はそのままもがいて溺れ死ぬか、泳げない者同士で何かにしがみついている。いつ沈むかわからにような流木に。

生きるという事は、大海を泳ぐことに似ている。